2002年12月、当時入団3年にも満たない遊気舎所属の阿久津勝哉が、劇団内からの支持を得て『遊気舎トレンドキル』と名を打った劇団のプロデュース公演で初の作/演出となる『リセット〜Get To The Gone〜』を上演。
これを機に阿久津の作品や世界観に共鳴した根強い支持者達が現れ、阿久津本人のケツをたたいて新団体発足を促した結果、
2003年に始動するものの、当初よりこの件に消極的だった阿久津の気分が乗らず頓挫。
元々、舞台活動から距離をおきたがっていた阿久津は充電期間に入る。
しかしながらケツを叩き続けること約2年。
それに答えるカタチで2004年8月、ついに阿久津は自らの重い腰を上げ、遊気舎に席を置いたまま村西真知らをはじめとするメンバーと共に『フランケンシュタイナー』を結成。ようやく団体設立に漕ぎ着ける。
結成にあたり、現Piperの後藤ひろひと氏からのバックアップも受け、同氏を団体の名誉顧問として迎え入れフランケンシュタイナーは水面下で始動し始める。
遊気舎では様々な柵に阻まれ阿久津の世界観を具現化するには限度があったが、自らの団体を手に入れたことで妥協なく徹底的な創作活動を可能にした当団体は、演劇はなんでもアリとの観点から『演劇ヴァーリ・トゥード』と、独自の殺伐とした空気感とリアリズム追求による『ドキュメント演劇』の2本柱を標榜し、それをベー スに『ライヴ』というモノが持つラジカルな部分と『笑い』に徹底して拘り、演劇的常識やタブーに囚われない生々しい演出と、ヘヴィ・メタル・ミュージックよりインスパイアされた毒気に満ちた過剰な程のドラマを独自のシュールかつナンセンスな笑いで昇華させるポップさを売りとしている。
2005年10月に旗揚げ公演となる『下〜Hate Song〜』を上演。
これを皮切りに関西を中心に本格的に活動を開始。
以降、その強烈な作風とスタイルで公演の度に極端な賛否両論を巻き起こす。
故にマニアックなファン層から絶大な支持を得る一方で、観客だけではなく演劇界にまでにも中指を突き立てる、そのファック・ユー・アティテュード全開のスタイルを全面に押し出し、嵐のように去っていくところから「フランケンシュタイナー が通った後はペンペン草も生えやしねェ」と言われるようになる。
往年のアングラ演劇を食ったようなアティテュードは『オルタナティヴ・アングラ』や『カウンター・アングラ』『モダン・アングラ』などと称され、演劇の新ジャンルとも言えるフィールドを開拓。関西のサブ・カルチャー/アンダーグラウンド・シーンを刺激し続けながら、好いて関西小劇場界の端っこに位置し、物陰に 隠れ、ときたま顔を出し関西小劇場界の中心に向かって毒針の吹き矢を射かけてはまた隠れるが如きスタイルで現在も演劇界を跳梁跋扈する。
2006年11月に参加したIST零番舘の演劇フェスティヴァルにて上演した『ふたり〜I'm Alive〜』が大賞であるIST賞を受賞。





















